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富士のごとく

 初めての瞑想体験は、散々だった。

  東京は広尾の禅寺。「ビギナーもお気軽に」という案内に意を強くして、朝五時起きで門をくぐった。境内を進めば、すでに中の広間では、見るからに玄人たちが 陣取っている。おのおの、これからの聖なる時間と向き合う準備なのか、指を伸ばしたり足をさすったり、身体を揺すったりしていた。言われるがままにその場 に座して、来たるべき時に備える。
 じきに住職が現れた。作務衣に身を包む年の頃は五十代か。その眼鏡で場を一瞥した後、達磨のごとくどしりと座り、あっさりした小声で瞑想の開始を宣言した。空気が軽い緊張を孕むのを心地良く感じながら、私は半跏趺坐という初心者にも優しい座法を試みる。

  寺院に降り注ぐ朝の陽は優しく、だんだんと心にも静謐が広がる。私は直前、一人の親切な玄人から伝えられたひとつのことだけに集注した。それは、「富士の ごとくあれ」という教えだ。なるほど。陽光を背に、目を薄開きにしてみれば、そこには自分の影が映る。ぼんやりとした黒い胡座画は、確かにどこか富士のようだ。その影の中、奥深くへ。少し不安定に揺らぐその輪郭に、この曖昧模糊な意識を重ねていく。ただ眠るとも黙るとも違う感覚を手繰り寄せる。
 暫くの時が過ぎた。正面の達磨の目が突如開き、その後その口が開いた。五分の休憩である。ふぅ、と一息。いったん足を崩そうとしたその時に覚っ たのは、尋常ではない痺れだった。痺れていてくれるうちはまだ可愛いもの。足を組み外した瞬間から、痺れは痛みへと質的変容を起こし、さらに激痛へと急 ピッチで進化していく。およそ人生で床に座る生活を一度もしたことのない、非日本的履歴のツケを払う時だった。足を伸ばすこともままならず、情けなく悶え る。それも小声で、場の猛者たちの気を乱さぬように。
 五分の時は、無情に短い。人々が再び深く息を吸い込み、静かに目を閉じれば、私は悶絶の表情に青息吐息、ただ申し訳程度に足を組んだ。もはや富士のイメージ はどこにもない。乱された私の意識は、痛みが徐々に我が身の麓を登り、頂まで足を踏み入れ、強い頭痛へと至る道筋を丁寧に辿り、ただそれに耐えるのみを考 えた。時は嫌というほど長く私に居座り、脂汗がくまなく夏のシャツを湿らせた頃、苦々しい苦行の二時間は終わった。

  初めての瞑想にかくも拒まれた私は、椅子に座りながらぼんやりと思う。あの「富士のごとく」の感覚に一番近づけるのは一体どんな時なのだろう、と。おそら く、今の私が見出すのは、この身ひとつの自分ではなく、その世界へと案内してくれる媒介者がいる時なのでは、という仮説だ。

 映画のエンドロールが終わり、館内に控え目に光が戻る時、ただ茫然と口を開けている自分がいる。美術館を流し目で歩いていたら、急に一枚の絵の前で胸騒ぎを 感じ、立ち尽くしてしまうことがある。一冊の本の、残りの紙幅が減りゆくことを哀しく知りながら、それでも夢中で次の頁をめくらずにいられない時がある。 そのどれにも共通していることは、内なる何かが通じ合い、気づけば自分が「連れ去られている」体験だ。
 その時そこでは、私と世界の境界は限りなく透明で、私はいわば、何にでもなる。ある時は王の暗殺を企む決死の従者であり、我が子を産み落とす刹那の妊婦であり、またある時は山村を勢いよく吹き抜ける風となる。
 私が連れられた場所は、その作品の水脈であると思う。あらゆる種類の作品の、様相の違いの奥底にひそむ、作者の息吹であり表現の鼓動。その命の水脈に深く通じる井戸が、古今東西、思いもよらぬ場所に掘られていて、ある日突然、出会うべくして目の前に現れる。

 「富士」もまた、刻々とその姿かたちを変える。真っ白な雪化粧の表情を見せる日もあれば、露出した山肌を朝日が赤く染める時もある。にもかかわらず、富士はあ の富士であり続け、全体を貫く命は見るものを魅了せずにはいられない。自らの変容と共に、物事のうつろいをその水脈で丸ごと受け止めた感覚を持つ時、私た ちはもう少し「富士のごとく」あるのかもしれない。

 今号の「風の旅人」もまた、そんな「いのち」の全体像の中を、風のごとく駆け抜ける一冊だ。ぜひその仕上がりを体感して欲しい。私はと言えば、そんな体験を、いつかこの座した身のみで得られるものかと自問しながら、今日も夜な夜な、脚のストレッチに励むのである。

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拝啓 寿限無様
ブログサービス じゅげむ様

好き勝手、デザインをいじったり、本来は出さないといけない広告表示ページをけっこう適当に削除させていただきつつ、永らくお世話になっております。

あるいは、これはきっとGoogle様宛てに申し上げることかもしれませんが、我がブログを書いたすぐ下に表示される広告の件についてでございます。

普段、ちら見もせずに、マウススクロールの露の彼方に消えるアドオンの広告表示ですが、さきほどふと視界に入って来た言葉にびっくりしました。


    宇宙エネルギーと1つになる
    宇宙エネルギーと繋がり本当の自分を取り戻す方法を実践

    もう他人に振り回されない
    他人の目や顔色が気になるあなたへぶれない方法6つのステップ 教えます

    スピリチュアル診断
    あなたのスピリチュアル度をチェックスピリチュアルの真実を公開します


ひゃあ。

これって、ブログ記事の言葉と連関して表示されるやつだよね。
僕の記事、そんなにオカルトですかね。THE・自己啓発野郎じゃないですか。これじゃ。

いや、つながりも、精神性も大事なんだけどね、そりゃ宇宙の仕組みにも興味あるけどさ、言葉尻ってのだけでニュアンスが見られないと、こういうことになってしまうんですね。

ふむ。

ちゃんと、自分のホームページつくろっと。
そうあなたは、今晩私に思わせてくれました。

南無三。寿限無さん。

迷いの最中 | comments(0) | trackbacks(0)
仲間たち
仲間たちが熱くて嬉しい。

だいたいにおいて、仕事してる人たちの多くは死んだ魚のごとく虚ろな目をして、毎日をそつなく過ごして、いつからか己を乗り越える緊張を忘れて、大いにつまらなそうなんだけど、友たちは違う。

この週末は幸せだ。一年がかりのタイトな建築のプロジェクトをひとつやり終えた友。今この都心で、名前がまだつかない新たな「場」をいよいよ事業としてやり始めた友。言葉を交わし、僕もだんだんと覚悟を決めていく。会っただけで、その歩き方だけで、一言目を話すその表情から、人への関わり方すべてから、早くなんかやろうぜ!って情熱がほとばしってる。

少しバイオリズムが不調だった自分にも、そのエネルギーはすぐ感染する。
そうそう。とにかく、こいつらと会えば、俺は無敵じゃないか。そう確認する。

過去よりマシになったとは言え、僕はさして寛容な人間じゃない。すぐに人の欠点が見えて、ついつい申し上げることがあるし、そういう時に限って言葉は的確極まりない。が、こやつらは、魅力の言葉でしか語れん。こうして信頼と共に、お互いを求め合う間柄が続いて来たことを嬉しく思う。協力は惜しまない。このつまらんままの世界を乗り越えようと、確かにけっこう高圧的に、たわけた世間を批判に晒し、自分たちに檄を飛ばす我々だが、遊び心も忘れない。

現状を憎んで、誰かを倒したくて、我々は動くのではない。僕らはもう、つねにすでに人生を楽しんでいる。何が、自分たちを喜ばせてくれて、どう感謝の気持ちが湧き上がっているのか、その根源を忘れはしない。

とはいえ、このつながりの、ユーモアの感覚、表現をしたり、自分の視野が激烈に広がり乗り越えていく感覚というものを共有するのはもっと素敵なことだ。
それを共有することで、飯が食えるならば、さらに素晴らしいことだ。
日々の生活の中で大事にしている瞬間が、さらに広がっていくこととなるのだから。
それはひとつの新しい生き方を社会に呈示することになるから。

私に始まる小さなドットはいずれ、あなたを含む直線となり、やがてその連なりはこの世界という平面を覆う。今の世界と、過去を生きて来た人たちとの平面同士の重なりは、立体を作る。その空間を、大切に未来へとつないでいく。

もうすぐ、27歳。とうとう、掛け値なしの20代後半だ。ぼやぼやしてる時間はない。平均寿命なんて数字は何のあてにもならない。この「加速する時間」を生きてる成人の我々は、人生の「体感としての折り返し地点」をもう過ぎてる。我が半生は、生き切ったのだ。

そして今、個人名で生きていく時がやって来てる。この職場で、己は最高に鍛えられ、人間の深みを底なしに知り、世界はますます具体的な色彩と共に広がる。準備は日々整う。そして、近く、仲間たちと共に立つ。


「もっと書け!書き続けろ」と、そんな友からの檄をもらいました。
求められた。さらば与えます。世の中をぎりぎりと見つめ、がしがしと書きます。

まずは、ひたすらの勢いとフローの中に自分を置きたい。

仲間たちが、自分でケツまくって、事業をやり始めてる。その勢いと呼応する意味も込めて、自分もパンツ脱ぎます。構成された文章を書くことよりも、もっと荒削りでも、自分の中から湧き上がってくるものを、正直に、カラダに響く言葉で書き綴っていきます。

どれだけ物知りでも、世の中から一歩身を引いて、後から分析したりとか、警鐘を鳴らす程度しかできん学者のスタンスには興味がない。鮮やかな論理が通ってても、人の身体に響かない正義には意味がない。綺麗で聞こえのいい言葉も、身が引き締まる覚悟が見えなければ浅はかだ。

この現在進行形の今に身を投げうって、ライブの自分と世界を見つめ、書き続けよう。

今までとこれから | comments(0) | trackbacks(0)
「世界そのもの」との出会い
 幾多の挫折を経て、英語での会話が苦しくも成り立ち始めた大学時代、私は自宅の近くにある外国人寮に入り浸るようになった。周りの学生たちがにわかに海外留学に浮き足立つのを見ながら、どうしてこの日本に住み、身をかけて興味を抱く人たちと関わらないのだろう、と不思議に思った。単身のゲリラ突撃に始まったひとり「場づくり」は、そう長くかからず、酒を飲んでは飯を食らう、どんちゃん騒ぎの交流場となった。
 東南アジア、中東、アフリカ、南北アメリカにヨーロッパ、あらゆる大陸から留学生は日本に来ていた。多くの人はいくばくかの日本語をつぶやくだけだったから、英語の練習の絶好の機会にもなったし、片言ながら、彼彼女たちの母国語を習うのも面白かった。「セルベッサ」=「ビール」の暗記に始まる私の遅々としたスペイン語の習得は、実はこの時に始まる。だが結局は、飯と酒と音というコミュニケーションの三種の神器に、いつまでも言語は太刀打ちできなかったように思う。

 異文化との接触は、決して喜びだけに満ちたものではなかった。現実に触れた世界の断片は、メディアが喧伝する華々しさやロマン、冒険などよりも、遥かに棘(とげ)があり、毒を含み、時にあっけなくすらあった。ナマで体感するということは、自分と「異文化」との違いに傷つきながら気付くことであり、同時に人間同士の揺るぎない共通項に気付くことでもあった。ゆえに異世界への愛憎は、しばしば拮抗した。
 苦労したのは、例えば「笑いのつぼ」の違いである。笑うべきところで笑わない人がいる。会話の間が持たぬ。といって、日本人の苦渋の愛想笑いに「それ変」と容赦ない輩もいる。自分が理解不能なジョークに、文字通り腹を抱え床を笑い転げたメキシコ人の友は、外国人以上に宇宙人に見えた。酒を飲まず、食事をとらず、雨にも負けず、ところかまわず祈り始める者がいた。人の話を聞かず、自分の主張を全力で押し付け、周りを押しのけ、怒鳴り散らす者もいた。日本人の想像を遥かに超える大陸のエネルギーは強いアクを含んでいた。当然ながら、しばらくしたら、こっちの心臓にも毛が生えて来た。
 世界はかくも広い。そして、その世界は、一度入り込んでみたら、無害なままではいてくれない。自分もまたその世界の中で問われるのである。そうして、不可避的にその中で自分も変化していく。毒々しい棘はいまも自分に刺さったままだ。
 
 だが、自分の想像もつかない「向こう側」の生活や価値観を包む巨大なこの世界に、興味は尽きることがなかった。そこを深く流れるもうひとつの時間をこの身で「つかんでみたい」と強く願った。
 ふと数えてみたら、60近くの国を旅していた。正直言って、この現代において、ある情報を「知り」たいのであれば、実際にかの地に足を運ぶよりも多くのことが、ワンクリックでみつかると思う。しかし、本当に大事なこととは、むしろ「絶句」することなのかもしれない。何かを知ることよりも、知っていたはずの己がいかに無知であったか、それが白日に曝されること。その方が、荒療治だが、遥かに自分を更新させる。異邦人とのやりとりでは、シンプルだが本質的な問いをよく受け取る。「なぜアナタは会話中エンドレスにウナズくのですか」そう言われても、己のカラダはわからない。深みにハマるほどに、私や世界への無知は明け透け、だが飽くなき好奇心はさらに疼(うず)く。
 
 「世界」とは現在の横軸での出会いに留まらず、時間という縦軸を生きて来た作品との交感そのものでもある。
 私は、美術館や映画館に足を踏み入れた時の、あの硬質な空気感が好きだ。さあ、もう能書きはいいぞ、と身が引き締まる。携帯もオフ、野暮ったいパソコンも出番はない。生活を方位するノイズのスイッチは消灯、作品の世界そのものが、そこには立ち現れる。あるいはこの自分もまた、社会の肩書きも、己の気張ったキャラもさておき、その身ひとつで、作品と直に対峙する。
 私たちは、旅をしながら、作品を見ながら、自分自身はあくまで見る「主体」であるように思っている。だが、その実同じだけ私たちは見られている。オランダのマウリッツハイス美術館、レンブラントの若き日の自画像は今も忘れない。私が投げた視線の何倍もの鋭い視線に、まるで試されるようにカラダを射抜かれ、しまいには重心がぐらぐらした。
 
 この人や作品を知らなければ、私は今の私になれなかった、と言い切れるものがある。出会わなければ、出会わなかったことを所与として茫漠と生きたであろうその自分が、空恐ろしくなるほどの、人生の貴重なる結節点。その「これは」という「瞬間」を前に、頼りになるアンテナは、畢竟、この開かれた身体ではないだろうか。果たして、その気配を察知し、鳥肌は立つか。そして、そう多くはないそうした機会を信じ、己を積極的に、無数の負け戦にも投じていけるだろうか。
圧倒される世界 | comments(0) | trackbacks(0)
ただただつれづれなるままに
あまりにもブログを書いていなかったので、少し気軽につらつらと。

毎日色んな文章をオフラインで書いてはいるのですが、それはまるで写真家が撮りだめをしているようなもので、その文章が今の自分にどんな意味を持つことになるのか。少なくともそれは今の時点ではわかりません。

特にこの働き始めてからの一年は、明らかに怒濤の流れの中にいて、あまり自分の書いたものを相対的に見る感覚が持てないです。とにもかくにも、やるべきことはある。まずは動かざるを得ない。その中で一番実のある具体をまずは言葉にし続けてみる。それがtwitterと今の生活との相性がいい所以かもしれません。

最近、よく表現というものがよくわからなくなることがあります。個人名を持つ表現、というものがどれだけのものなのだろうと。もう少し言葉を選ぶと、個人が作ろうとして作ったような表現というものがいかほどのものなのかと。

自分のキーワードは、個人の無化であり、変性意識であり、呼び寄せるという手応え。主体があるようでない、個人名はあくまで事後的にみつけられる歩み。

「凹凸」の形を表出の仕方と考えてみるならば、僕は具体的な凸を自分が打ち出していくことよりも、多様なるその凸を引き寄せる凹の土台を言葉なり空間なりで用意する場をつくることがひとつの表現になる。そんな時代を生きているように思うのだけれど。

随分色んな人と出会いましたが、何かが変わっているようなそうでないような。自分がその渦中にいる時はわかりません。

ひとつ。一年を経て思うこと。変わらず「問い」を問い続ける人間でありたいが、その一歩先にさらに、不完全でも答えをみつけて、その上に立って動いて、語り出せる人間でありたい。

さてともかくも、あと二年くらいは前後もわからずひたすら走り続けるでしょう。
今までとこれから | comments(0) | trackbacks(0)
おのまとぺ
色とりどりの擬音語に興味がある。

ぽたぽた、と、書いてあると、その瞬間にこの文章からは、音が聞こえる。僕たちがよく知る、木の葉から雨の雫が水たまりに零れ落ちる時のような、懐かしいカラダに響くあの音が。

ちりちり、と、じりじり、は違う。
ひりひり、と、びりびり、も違う。

くちゃくちゃ、と、ぐちゃぐちゃは違って
ぺちゃくちゃ、と、めちゃくちゃ、はもちろん違う(これは本当に違う。笑)。

いくらでも僕らは、生活と肌感覚に根差したこれらの擬音語を挙げることができる。
そしてその次の瞬間に、どれだけその音感の濁音と半濁音の違いが、ニュアンスとして大きく異なるか、を豊富な実例と共に即座に解説することができる。

一度、チェコ人の友達と鎌倉をまわりながら、ひたすらに僕が思いつく限りの擬音語を述べて、「はい、この二つの違いは?」と質問を浴びせ続けていたら、彼女は間もなく癇癪を起こした。無理もない。ごめんなさい。

しかも、これらの擬音語(オノマトペ)の感覚は、少なくとも僕にとっては英語に翻訳することはさらさら不可能である。

ねちねち、は執拗に。
じわじわ、は徐々に。
ぎりぎり、は目前で。

熟語に直してやっと、僕は英語という言語に変換する目処が立つ。しかし、これが何とおもしろくない、何と無機質な、何と身体に響かぬ硬質な変換だろう。知らず知らず、僕は熟語的に英語というものを記憶していることを知る。自らの英語力が、Nativeと程遠いひとつの理由は、このオノマトペに相当する英語のイディオムの慣用表現の広がりを僕がまったくものにできていないことなのだと思う。

まだバイリンガルになり得ていない自分は、事実か否かをまだ知らされないままに、こうした擬音語を日本語にしかないスペシャルな音として愛着を持つ。だから僕は好んで日本語を書く時に、この音を盛り込むのかも知れない。
音響の残波 | comments(0) | trackbacks(0)
ブータンの懐深く、幸せの国に住む人たちの実像
「ブータンの懐深く、ブムタン地方とパロとティンプーの旅」より帰国しました。
 
ブータンは、その国王の独特の政策から「幸せの国」として名高い国ですが、その実感はこの地で過ごせば過ごすほど強まっていきました。

インドと中国の間、ヒマラヤの山々に挟まれたこの地では、どこか流れている時間が違います。首都ティンプー。一国の首都には、信号がありません。おまわりさんが道路の真ん中に立って、なんとまあ、手旗信号で車を整理しています。でもよく見ると、整理するほども車は通っていなかったりします。
 
子供たちが、次から次へと笑顔でやってきますが、「ワンダラー、ワンダラー」と何かを要求してくる商人スマイルではありません。みんな少し照れながら、「ハロー、ハワユ?」と聞いてくる。「元気だよ。君は?」とたずねると、もう顔を真っ赤にしながら「I'm fine, thank you...」ともぞもぞ言って、ぴゅーっと面前から逃げ出してしまう。まるで、100年前の日本にタイムスリップしたかのような気持ちになります。

ツアーでは主に、ゾンと呼ばれる宗教と政治の複合的なお城やラカンと呼ばれるお寺を訪れます。ですが、ブータンのツアーは単なる観光にはとどまりません。ガイドのツェリンさんの口調にも力がこもります。「お祈りするとき、ご自身のことだけを願うのでは足りません。何かの縁でつながったこのツアーのメンバー、日本の家族のこれからを考えてお祈りしましょう」と、さながら仏の教えのよう。両手両足と額で地面を覆う、五体投地をする敬虔なブータン人たちに囲まれながら、「なんだかこのツアーでは人生の意味まで考えさせられた」というコメントをするお客様もちらほら。

もうひとつの旅の特徴は「絶景」。3000メートル超の峠をいくつも越えるその情景はもちろんのこと、旅のクライマックスであるタクツァン僧院では、皆様深い緑に彩られたブータンの山を登っていきます。時に休み休み、階段を上がったり昇ったりして、辿り着いた岩山の僧院からの絶景は、苦労した分感動もひとしお。その頃には、凍えるほどに寒かった麓がウソみたいに、カラダが温まっています。この冬の季節、僧院近くの滝から流れ落ちる水に、真っ青な空から差し込む光がきらきらと反射していました。


数多く訪れた神聖なお寺では、日本ではあり得ない不思議なことも起こります。
 
輪廻の思想が非常に強いチベット仏教系のブータンの寺院には、数多くの高僧の生まれ変わりのお坊さんがいます。ツェリンさんは、寺院ですれ違ったあるお坊さんの特異な佇まいを見抜き、その素性を尋ねます。その相手の年の頃はなんと5歳。伝統衣装のゴの手の裾で口を覆い、自分の吐息が高貴な方にかからないように配慮しながら、きわめておずおずと、聞き取れないくらいの小声でもって。すると、小僧さんは答えます。「いかにも、私は生まれ変わりである」。そうして、顔をもたげるツェリンさんの頭の上に彼はすっと自分の手をのせ、御利益を与えました。5歳にして完全にその澄んだ眼差しは高僧のそれでした。
 
ブータンは、わずか人口が60万人の国。だから、人と人とのつながり方にはびっくりするほど近いものがあります。たとえば、ツアー名にもある「ブムタン地方」ジャカールのホテルに二連泊した時のこと。夕食の際に、片言の日本語と英語でフレンドリーに話しかけてくるブータン人がいました。お客様を交えて話が盛り上がり、「実際、ブータン人って本当に幸せなんですか?」なんてどんどん国の実像に迫る問いを投げかけていくと、彼はにやりと笑って「実は私、今の与党の設立者なんです」とぽつり。今晩は、国会の議長をさらに東のタシガン地方に連れていこうとお供しているんだとか。
 

さて、では彼いわく、ブータンはなぜここまで特別な場所であり得たのでしょうか。「ブータンは確かにこのヒマラヤの峻険に囲まれ、歴史的に長い間世界の多くの場所から注目を浴びない場所でした。ですが同じく地政学的な観点から言えば、私たちは中国とインドというタチの悪い大国に挟まれています。かつての隣国シッキム王国はすでにインドになしくずし的に吸収されてしまった。私たちは、自分たちを守るためにも『ブータン人』であり続けなければならなかったのです。」
 
国語教育を全国に普及させたこと、同時に、罰金すら課しながら全国民に伝統衣装「ゴ」「キラ」の着用を義務化したこと。すべては「ブータン人」というアイデンティティを確立し、護るためでした。彼のフィールドは、政治の最前線。国王と共に働き「幸福な国、ブータン」を下支えする、真剣な国を思う眼差しが垣間見えた瞬間でした。


この国では、国王の宮殿が買い物の市場から歩いて10分のところにあって、政治のことを「直接」王様に相談できるホットラインがあって、国を治める議員がそのあたりに当たり前のようにいて。人がとにかく近くにいます。でもそれは何も物理的なことだけでなく、心情的にも、助け合い徳を積むことが深くカラダに刻まれたこの国ならではのものではと思いました。
 
「幸福な国、ブータン」そんなキャッチコピーの、さらにその先の人々の暮らしの実像に迫りたい皆様、かの地で刺激的な体験をお楽しみください。

風の如く旅する | comments(0) | trackbacks(0)
恥の書き捨て
僕はにやにやしていた。

その場は、99ショップ。レジの表示は、678円。僕の手元に、1233円。

この一見連関のない二つの数字。でも、日本人にはわかるのだ。

このお金を出して、事態を何も知らないこの中国人のコが訝しげに数値を打ち込み、「清算ボタン」を打ちつけたその瞬間、そこには「5・5・5」の大フィーバーが踊ることが。

実は過去にも偶然実践していたことがある。違う中国人のレジガールが、その数値の不意打ちに一瞬目を剥いて、思わずぴょこんと身を跳ねた。あの時、歴史は動いた。ならば、今日もまた。

彼女がもたもたと茄子やらひき肉やらを袋に詰める間にも、僕の脳内はまるで自分がスロットの絶頂を心待ちにするかのようなテンションへ高潮していく。さあこい。さあこい。

彼女が、やっとこさ出されたお金を見た時、「おやっ」という顔をした。

うーん、やっぱ通じてないかな〜複雑かな〜でも押せばわかるよ、と想定内だけど思わず思う。

だが、その時言われた一言。

「お客サン、これ1232円だけど......」

!!

……1円、足りてなかった。「8円」の端数に対し「3枚」あると思っていたあの薄っぺらいアルミ貨は、お手荷物のどこにもなかった。

マズい、と思った僕の気持ちははやる。焦燥。混沌。昏睡希望。手当たり次第財布をさぐり、そこに悠々と鎮座した、どんくさい10円銅貨を思わず放り出す。

商品の値段は678円。こっちは1240円。もうこれで勝負するしかない。どうだ、ファイナルアンサー。

どきどき。

チン、という渇いた音でレジの口がガコン、とオープン。目の前に差し出された貨幣たち。

……「562円」

よくわからない支払い額に、意味の無いお釣り。わけのわからぬ中途半端な数字に、思わず破顔一笑の彼女。

「あの、ごめんなさい、間違えました!」言い終わらぬうちに、その場を逃亡。
戦は常に、勝敗を明然と分け、負けた者にはすこぶる容赦がない。

ああ、また明日も買い物に行くのにな。困ったな。

茫然自失と鳩森神社へ逃げ込んで、がらがら鳴らして、お参りして、自己発奮。決然たる覚悟を決める。

「次は、7・7・7を狙う」

また無謀な野望を新たにして、こうして家であの恥を書き捨てる。

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帰還・後
旅から帰って、その後自分固有の道をみつけられる人は決して多くない。「場」によって自分がいかようにも変容する喜びを知った人は、今度はその「場の力」を抜きに自分を打ち立てることや、自分の望みとはまるで異なる論理で動く足下の「場」を生き抜くための尖鋭なる武器の死活的な必要性を見落としやすい。

旅に出ることが当たり前となった時代では、漫然たる旅のエピソードを聞くことは、驚くほどにつまらない。ギアナ高地だろうと、ウユニ塩湖だろうと、ペトラもバラナシも、断片の体験譚が次々と開陳されたところで、旅自体が人生の目的となってしまった、そのヒトの息吹に狂気が宿ってなければ、全然入り込めない。

一方的に「覗き見る」ことは単なる観光だ。経済効果をその国に落として、国もしっかりそれを当てにして、という仕組みは事実だから何も言うまい。だが「旅」は違う。見る自分が見られていて、食べるはずが食べられていて、呑まれて、自分の境界が一部溶け始めて、自他の境界が不安定になって、昨日と今日の自分はもはや異なる存在だ。

情報化社会は、その醍醐味を小出しに奪いつつある。現地で劇的にその体験を与えるのではなく、又聞きの伝聞が常にすでに、生身の体験を先取りして告げ口する。

だからこそ、そうした「出会い」を持てる、ということは非常に貴重なことだ。旅先という「場」の力が宿る場所で、自分が生まれ変わっていくことは、ますます無色化する文明社会ではなおさら尊い。

だが、断じてそこで呑まれて終わってしまうことが人生でもない、と私は思う。偉大なる他者、自然、情景との出会いが自分を更新するのは尊いことだが、そうしてその偉大さを消費するために私たちは生まれたのではない。そこから始まることは何か。何がこの場所を自分の今までの生活から遠ざけ、それでも私はどうして日本人として「こっちの奈落」に戻らなければならないのだろう。それを問い動き続けることが、世界との呼応の上に自分の生を織りなそうという覚悟だと思う。

旅の経験を錦の御旗に自然回帰、文明批判を叫ぶのは簡単だ。だが、むしろその思考の檻が私にとっては怖いことに思える。定型句を喜んで受け入れ、そうして人は本当に異質な「他者」と感応して自分ごととして考え感じる自由から後退していく。何よりも、土着を離れ、都市を浮遊し、ニュートラルな情報に芯までまみれた人たちに、そうした遠く高みからの言葉は決して救いとなることはないだろう。

旅をしなくても、「旅人」であり続ける人がいる。「都市」に戻った藤原新也さんは、にもかかわらず間違いなく、今もまた旅人だった。ドスの利いた人を射抜く目を持つ藤原さんは、自分をその場に開放して波及させるだけではなく、他者の中に入り込む感覚を本当に鋭く持っている方だと感じた。

「藤原さんは、物乞いの子どもにお金をあげますか」質問が上がる。
「答えはない。相手の顔を見るんだ」と、そっと宛てがわれた返答。

規範を作るな。

その言葉が、何だかどこか「自由であれ」という聖的な啓示に聞こえた。

「自由」も「死」も、言葉が含む深みがまるで違う。自分が同じ言葉を語っても頭でっかちにしか響かない言葉は、藤原さんの躰を通して発せられると、おそろしいほどに生の熱を帯びて、触ると肌がひりひりした。

交錯する感応 | comments(0) | trackbacks(0)
物語ヨルダン

ベドウィンという遊牧民と共に僕は火を囲んでいる。


遠く、ヨルダンの地。ナバティア人が築き上げたペトラの遺跡の崖の上。
僕は、この壮大な紀元前の廃墟の前に、かつての彼らの生活に沁み入ると共に、
それでも何よりも現在の、この荒涼とした乳褐色の岩肌の今を感じていた。

砂漠の民がパコンパコンとロバを手なずけながらやって来て、僕の前に無言で、煙草を差し出した。「俺は実は、水タバコ専門なんだ」というと、「そうか、」と彼はにやりと笑った。「だけど、そのロバにのせてくれるなら、ぜひそこで一服してみたい」と厚かましくも僕はいう。「ならいっそ、あの洞窟で、お茶でも振る舞おうか」ロバに乗り込み、400メートル上空への行軍。願ってもない、ベドウィンとのティータイムが始まる。

最初に彼は、拳大くらいの石をいくつか拾って来て、即席のかまどとした。その中に干し草を投げ入れて、めらめらとした火を灯す。ロバの上には鞍がついていて、その両脇には二つのぽっけがある。砂まみれのコップと、ヤカン、水の入ったペットボトル、それにジップロックに守られたお茶の葉が入っていた。黒ずんだ金属製のヤカンとコップは飲料水で「大雑把」に綺麗にそそがれ、彼は「ふむ」と頷く。でも他にもロバだかラバだかで集まって来たベドウィンたちがさらにわさわさやって来て、コップはあっという間に足りなくなってしまった。あいつはペットボトルの飲み口の部分を、ワインのグラスの柄のようにして、適当な大きさにボトルをナイフでじゃこじゃこ切り始めた。再び「ふむ」にやりと笑う色濃ゆい彼の顔。そうして僕たちは乾杯をした。今日の夕飯を共にすることを約束して。

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待ち合わせた場所は,ホテルの裏山だ。そこにはその時誰もいない。星空が綺麗で、岩肌の地面は暗闇の中で、この足の感触でしか確かめることはできない。そこに響いて来たのは、静寂に妙に響くぱっかぱっか、というあの音。暗闇からぬっと現れ出たのは、モニカちゃん。彼の愛ロバ。

再び僕たちは火を囲む。彼はベドウィン風の肉じゃがを持って来て、ヨーグルトをかけて、さあ手で食べろ、としきりにうながす。砂のスパイスをかすかに感じながら、口に運ぶ。

「こうやって、飯を囲うことができるのは、小さな偶然の積み重ねだ。その偶然は、実際に起こってしまえば、必然とも偶然とも何とでも言える。だけど、一番大事なことは、それを引き起こすことだ。それがなければ、その出来事には何も名前がつかない」
すべての発言に、彼は自分の世界観を投影していた。

「この必然に感謝して、俺はきっとまた来るよ」なんて僕は答える。

「違うんだよ」と彼は強い口調で返す。「お前は帰って来る、なんていう必要はない。今日ここで、ひとつ大事なことが起こった。また来たいならば来ればいい。その時何が起こるかは、砂漠が知っている。俺は多くの人たちが、また来るよ、といって、もう来ないことを経験し過ぎてる。誰かを待ち続ける場所で、俺は生まれ育ったんだ。だから、未来の言葉にはあまり興味がない。その未来が、目の前のその人間と共に現実となった時、その現在に名前をつければいいと思う」

星空の岩舞台には、枯れ木がパチパチと火を奏でる音だけが聞こえる。彼の言葉は、その目と同じくらい強く儚かった。
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