仲間たちが熱くて嬉しい。
だいたいにおいて、仕事してる人たちの多くは死んだ魚のごとく虚ろな目をして、毎日をそつなく過ごして、いつからか己を乗り越える緊張を忘れて、大いにつまらなそうなんだけど、友たちは違う。
この週末は幸せだ。一年がかりのタイトな建築のプロジェクトをひとつやり終えた友。今この都心で、名前がまだつかない新たな「場」をいよいよ事業としてやり始めた友。言葉を交わし、僕もだんだんと覚悟を決めていく。会っただけで、その歩き方だけで、一言目を話すその表情から、人への関わり方すべてから、早くなんかやろうぜ!って情熱がほとばしってる。
少しバイオリズムが不調だった自分にも、そのエネルギーはすぐ感染する。
そうそう。とにかく、こいつらと会えば、俺は無敵じゃないか。そう確認する。
過去よりマシになったとは言え、僕はさして寛容な人間じゃない。すぐに人の欠点が見えて、ついつい申し上げることがあるし、そういう時に限って言葉は的確極まりない。が、こやつらは、魅力の言葉でしか語れん。こうして信頼と共に、お互いを求め合う間柄が続いて来たことを嬉しく思う。協力は惜しまない。このつまらんままの世界を乗り越えようと、確かにけっこう高圧的に、たわけた世間を批判に晒し、自分たちに檄を飛ばす我々だが、遊び心も忘れない。
現状を憎んで、誰かを倒したくて、我々は動くのではない。僕らはもう、つねにすでに人生を楽しんでいる。何が、自分たちを喜ばせてくれて、どう感謝の気持ちが湧き上がっているのか、その根源を忘れはしない。
とはいえ、このつながりの、ユーモアの感覚、表現をしたり、自分の視野が激烈に広がり乗り越えていく感覚というものを共有するのはもっと素敵なことだ。
それを共有することで、飯が食えるならば、さらに素晴らしいことだ。
日々の生活の中で大事にしている瞬間が、さらに広がっていくこととなるのだから。
それはひとつの新しい生き方を社会に呈示することになるから。
私に始まる小さなドットはいずれ、あなたを含む直線となり、やがてその連なりはこの世界という平面を覆う。今の世界と、過去を生きて来た人たちとの平面同士の重なりは、立体を作る。その空間を、大切に未来へとつないでいく。
もうすぐ、27歳。とうとう、掛け値なしの20代後半だ。ぼやぼやしてる時間はない。平均寿命なんて数字は何のあてにもならない。この「加速する時間」を生きてる成人の我々は、人生の「体感としての折り返し地点」をもう過ぎてる。我が半生は、生き切ったのだ。
そして今、個人名で生きていく時がやって来てる。この職場で、己は最高に鍛えられ、人間の深みを底なしに知り、世界はますます具体的な色彩と共に広がる。準備は日々整う。そして、近く、仲間たちと共に立つ。
「もっと書け!書き続けろ」と、そんな友からの檄をもらいました。
求められた。さらば与えます。世の中をぎりぎりと見つめ、がしがしと書きます。
まずは、ひたすらの勢いとフローの中に自分を置きたい。
仲間たちが、自分でケツまくって、事業をやり始めてる。その勢いと呼応する意味も込めて、自分もパンツ脱ぎます。構成された文章を書くことよりも、もっと荒削りでも、自分の中から湧き上がってくるものを、正直に、カラダに響く言葉で書き綴っていきます。
どれだけ物知りでも、世の中から一歩身を引いて、後から分析したりとか、警鐘を鳴らす程度しかできん学者のスタンスには興味がない。鮮やかな論理が通ってても、人の身体に響かない正義には意味がない。綺麗で聞こえのいい言葉も、身が引き締まる覚悟が見えなければ浅はかだ。
この現在進行形の今に身を投げうって、ライブの自分と世界を見つめ、書き続けよう。
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